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王通 (隋)[おう とう] 王 通(おう とう、584年(開皇4年)- 618年(武徳元年))は、中国・隋代の儒学者。絳州竜門の人。字は仲淹(ちゅうえん)。号は文中子(ぶんちゅうし)。 名族である太原王氏の傍系出身である。父・王隆は国子博士となり、開皇初年文帝に「興衰要論」7篇を奏した。王度・王績(東皐子)は弟。孫には初唐の詩人王勃がいる。 18歳の時に秀才科に及第したにもかかわらず、官には就かなかった。603年(仁寿3年)に文帝に対して「太平十二策」を上呈した〔森鹿三「文中子」『アジア歴史事典』8巻収録(平凡社, 1961年)、195頁〕が、納れられなかったため、郷里である竜門県(山西省)に戻り、著述に専心した。その許には一千人単位の門弟が集まった。その中からは唐朝建国の功臣たちが多数輩出した。その著書『文中子中説』は弟子たちとの対話を集録したものであり、北宋の阮逸が注を付した。ただ、この書の内容や真偽に関しては、諸説紛紛たるさまを呈した。 == 脚注 ==
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